1月の雑感
2021年が始まった。
毎年、志ばかり高くなる1月。例に漏れずおそらく貫徹されないであろういくつかの抱負というか理想の習慣をノートに書いた。
坐禅・日記・合気道・ノート一日2ページ程度・ギターを弾くetc‥‥。1月末現在早くも半分の項目が宙ぶらりんとしている。
このブログも定期的に書きすすめるつもりだったが文体もテーマも決まらず、それでもアプリを消す事も出来ずにいた。今からでも間に合うだろうか。
8年前ぐらいに辞めたTwitterを2年前から復活している。当初はポツポツとライブ活動等の告知ツイートをしたりしなかったりしていたが、今は完全に意識高い系と言われて相違ないタイムラインになっている。
そう。最近は政治・社会問題が興味深くて仕方がない。「政治を語ってはいけないんじゃないか」という謎の空気が現実にもSNSにも蔓延しており、煩わしくて仕方がない。
この国の現状で黙ってる方が心に毒なのである。春になれば私にも子供が生まれる。独身の頃ならばここまで怒らなかったかもしれないが、私にはこの春、子供が生まれるのである。教育や医療、自然環境に政治と経済諸々が進行形で悪くなり続けてるような状態で無関心を決め込んで我が子に何を教えるというのだろうか。
社会に対しても、今家族で直面している問題にも目を向けたい。妻の心身は、現在良いとは言えない。コロナ禍の今、彼女の不安を私に癒せるだろうか。
大人にならなければいけない。私のようで私ではない、無視する事の出来ない何かから日に日に成熟を迫られているような気がする。
今日の日記を読み返して、難しいだろうが、なるべく恥ずかしくなる事がないようにこの1年を暮らしていこうと思う。